那智の滝とよみがえり

こんにちは!

くぬぎです!

昨日は文覚上人の話をしましたが、もともと書こうと思ったのはその内容ではなかったのです。

そもそも始めに気になって書こうと思ってたのは、那智の滝での文覚上人のよみがえりの描写です。

今図書館で借りて読んでいる本『イチから知りたい日本の神さま-1 熊野大神』によると、那智参詣曼荼羅には文覚上人が滝に打たれて二人の人物に介助されて立っている姿が描かれています。文覚上人は冬に37日間、那智の滝に打たれる修行を決行し、その結果凍死してしまいますが、それを不動明王の使いの童子が表れて蘇生させたといいます(p54)。

さらに、この文覚上人の、一度死んで蘇生し生まれ変わった、という伝説自体が、那智の滝が生まれ変わりや再生を与える聖地として認識されていたことをあらわしていることも強調されています。それにかかわり、修験道においては、修行者は厳しい修行を自らに課すことで、「いったん死に、生まれ変わること」を目指していたという内容が。

修験道の修行者が、死と再生を重要視していた、というのが、昔耳にした話とつながったような気がして、なるほどなあと少し驚き、納得してしまいました。

どういう内容かというと、以前くぬぎは京都で暮らしていたことがあるのですが、そのときに某博物館の展示を見に行った時に、そこの学芸員さんが教えてくださった話です。鞍馬寺という京都のお寺と鞍馬山周辺の風俗についてがその時の展示テーマで、とくに印象深かったのは鞍馬寺で今でも行われている伝統行事・竹伐り会式(たけきりえしき)のお話でした。

竹伐り会式は現在は、二つの地域の代表が竹を切る速さを競い、速かった方の地域がその年は豊作になる、といわれている毎年恒例の鞍馬寺の行事です。

しかし、昔は今と少し仕組みが違っていたらしく、儀式・仏事の一環として行われていたそうです。

儀式としての竹伐り会式の姿とは、どんなものだったのでしょうか。すこし見ていきます(あくまで昔は、の話です。今の時代にやるとかなり問題になるような内容ですので)。

儀式の手順としては、まずお寺のお坊さんが何人もいるのですが、儀式が始まるとお坊さんが全員集まって、一斉に竹を切るそうです。それも、切る速さを競う、つまり一番切るのが速かった人を決めるのではなく、一番切るのが「遅かった」人を決めるために行われていたのだそうです。

なぜかというと、かつての竹伐り会式は、お坊さんたちの一年の修行の成果の見せ場のような舞台だったからです。精進し修行を重ねた僧侶は法力がつくと考えられ、それにともない、法力が強いならば当然竹を切るのも速くなるに違いない、と考えていたからだそうです。

つまり、その考え方では、一番切るのが遅かったビリのお坊さんは、一番修行が足りなかったと考えられますよね。

では、一番遅かったビリのお坊さんが決まった後はどうするのかというと、そのビリのお坊さんをほかのお坊さん全員で取り囲み、取り囲んだお坊さんたちが大声で一斉にお経を読み上げるんだとか。

たった一人で全員に囲まれ声を浴びせられるお坊さんは、かわいそうに、びっくりするあまり失神したり、追い詰められて錯乱状態になり神がかりのような状態になることもあったそうです。しかし、実はそれこそがこの儀式の本当の狙い。一気に詰め寄られ攻められることで自分を失う=仮想上の「死」を経験させるということです。そして、次に正気に戻った時には、仮想上では死を経験して帰ってきた「再生」、よみがえりを果たしたとして、儀式の前よりも法力が身についていると考えたそうです。死を経たよみがえりによって、特別なパワーが身についたというイメージでしょうか。

仮想上とはいえ、そのような「死とよみがえり」を重要な儀式に実践的に取り入れていたこの事例を聞いたことがあったので、那智の滝での 文覚上人 の死とよみがえりの場面が修験道における重要な文脈で理解されていた、というところでなんとなく似ているんだな、と感じました。

なんでそんな思いまでして、危険なのに・・・と思ってしまうことでも、当時の人は今の感覚とはまた違った考え方を持っていたから、ということもまだまだたくさんありそうです。

画像引用元:京都フリー写真素材


那智の滝と文覚上人

こんにちは!
くぬぎです!


和歌山の熊野大社には、本宮、那智、速玉の三社があります。
その中でも、那智は那智の滝がよく知られていますよね。
那智の滝にまつわる面白い話を本で見つけたので今日はブログにしています。


庶民に熊野信仰を布教するために持ち歩いたとされる一幅の絵、那智参詣曼荼羅には、滝に打たれる修行をして疲労困憊し、両側から支えられているようにして描かれている人物がいます。

この真ん中の人は文覚上人という人で、さびれていた京都の名刹・神護寺の再興のために尽力したお坊さんです。


神護寺というと、京都の北のエリアにあり、標高が高い高尾山という寒い地域に位置するため、京都で一番早く紅葉が色づき始めるのが神護寺ともいわれています。

京都フリー写真素材


そんな神護寺を再興した文覚上人は、神護寺への寄付を天皇にお願いし、断られると天皇に向かって逆ギレするなど、情熱がありすぎて(?)少し変わったお坊さんといわれることもあります。しかし、彼がいなければ決して今の神護寺はなかったといわれるくらいに寺院再興に寄与した偉大な業績を持つ人物です。


文覚上人は、もともとお坊さんであったわけではなく、若いころは一介の武士でした。
文覚上人 がお坊さんになるきっかけになった恋愛物語を今回はご紹介します。

文覚上人は、 お坊さんになる前の名前を遠藤盛遠といい、盛遠はある時、すでに夫のいる女性「袈裟御前(けさごぜん)」に恋をしてしまいます。

夫を愛していた袈裟御前はもちろん断ろうとしますが、断るなら袈裟御前の母を殺すぞと盛遠は強く迫ります。

母を見殺しにできない袈裟御前は、「それでは、おっしゃる通り結婚します。ですが、今は夫がいる身ですので結婚できません。今夜私の家に来てください。夫が帰ってきたらお酒をたくさん飲ませて酔わせたうえ、髪の毛を洗って濡らし寝かしつけますから、暗闇の中濡れた髪の毛を目印に探り当てて、首を切って殺してください。そうすれば晴れてあなたと結婚しましょう」ともちかけます。


それならば今夜向かおう、と約束をして、盛遠は帰っていきました。


夜になり、袈裟御前は帰ってきた夫を迎えて御馳走をふるまい、お酒をたくさん勧めてぐでぐでに酔わせてしまいました。

その後、夫を風呂に入れ、寝かしつける支度が整うと、夫を目立たない押入れの陰に寝かしつけました。

そして、自分の髪を男性の髪ほどに切り落とし、水で洗って濡らし、床に就いてその時を待ちました。


何も知らない盛遠は、昼間袈裟御前に言われた通り、暗闇の中そっと屋敷に忍び入り、濡れた髪の毛が手に触れると一気に刀を振るいました。そのあとは急いで屋敷を跡にし、切り落とした首は帰り道の途中の草むらに捨ててしまいました。


次の日になり、盛遠の屋敷では、袈裟御前が殺されたという噂でもちきりになっていました。
盛遠はまさかと思い、昨夜の道をたどって、首を捨てた草むらを確認しました。


こうして、盛遠は愛する人を手にかけてしまった自身の愚かさを悔い、出家したという伝説があります。

この物語はいろいろな本に載ったり、舞台の演目になったりして広まり、袈裟御前は命を犠牲にしても夫への貞節を守ったとして、模範的な女性像として広く知られました。


そういう経緯でお坊さんになった遠藤盛遠は、出家した後の名を文覚上人といいました。


出家後も波乱の生涯を送った人物ですが、生前のその功績が認められて、神護寺にお墓が建てられています。


同じく京都にある袈裟御前のお墓があると伝わるお寺・恋塚寺では、袈裟御前のお墓が神護寺の方向、つまり盛遠のお墓に顔を向けるように建てられています。


その様子は、罪を償うべく仏道に励んだ盛遠を、まるで許しねぎらっているかのよう。そのお墓のエピソードさえ、母と夫の為に身をささげた袈裟御前らしいと感じるのは私だけでしょうか。

とまあ、うろ覚えなのと伝説もいくつかのタイプがあるのでこれが正確な伝説だとはいえませんが、こういう風な話が伝わり、那智の滝での修行風景につながっていると思うと少し感慨深くなります。


余談ですが、2022年の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」では市川猿之助さんが文覚上人を演じられるそうです。楽しみです!


白浜のとれとれ市場!

こんにちは!
くぬぎです!


昨日のお休みは、白浜のとれとれ市場に行ってました!
たまたま昨日は陶器市をやっていました!
「第23回全国大陶器市」というそうで、12月22日まで開催されているそうです。
あんなに安く売りさばいて、陶芸家の人は大丈夫なんでしょうか・・・?
と心配になるくらいに、手作り品でもお手頃なお値段の食器がたくさん。見応えありました(*’▽’*)

とれとれは、この日駐車場がほぼ満車ですし詰め状態💦
すぐに入れる空きがなかったので、ほかのレーンにも入っていって空いてるところを探してまわりました。

車同士が近距離で詰まっていてひやひやしましたが、無事駐車。
ふーっ!ひと汗かいたぜ!
それにしてもだいぶ観光客が戻ってきているんですね!
館内も家族連れやカップルやでにぎやかです。

さて、広いとれとれをいろいろ見ているうちに小腹がすいてきたので、とれとれ市場のなかにあるカフェにはじめて入ってみました。


注文したのはモンブランパフェ。
まだギリギリ11月なので、最後の秋を味わう気分でいただきました!


注文してからすぐ、唐揚げの香ばしい匂いが漂ってきて、あっちにすればよかったかな、と後悔しかけましたが、パフェが到着すると迷いも吹っ切れました。
モンブランクリームはびっくりするぐらい軽くてほのかに甘い秋の味がしました。
さっぱりした甘さのくりがたっぷり乗っていて、すぐ下にあるアイスとも相性ばっちり!


一番下にコーヒーゼリーが入ってるのですが、これは紀州の土をイメージしてるのかな?なんて思ってしまうほど、色のコントラストが素敵。
こっちはちゃんと苦い大人の味。本物のコーヒーみたいな深みがあります。
う~ん、いいものを食べました。
今回パフェをいただいたこちらは「木と水と土と」というお店で、和歌山の食材をメインにしたカフェなんだそうです。
この白浜の店舗と、表参道にも店舗があるみたいですね。
思いがけず秋の恵みにありつけました。
ごちそうさまでした。


紀南アートウィークのぞき見!

こんにちは。
和歌山県田辺市のくぬぎです。


紀南アートウィーク開催中の南方熊楠顕彰館と高山寺に行ってきました。

ちなみに、紀南アートウィークは11/18~11/28まで開催中の芸術イベントです!

紀南アートウィークのみどころ

紀南アートウィークHP

南方熊楠顕彰館


顕彰館の駐車場は、建物入り口の向かい側の空き地みたいなところです!


意外と広いので車は止めやすいと思いますよ♪
熊楠の展示は建物に入ってつきあたりまで歩くと、左手に暗い部屋があります。


そこが今回のイベント会場。
熊楠の顔を描いた大きな凧と、その制作風景を巨大スクリーンで上映しています。

迫力もさることながら、なぜこれをやろうと思ったのか?と呆気にとられてしまうほどの発想力。


若い人も高齢の方も、一致団結して取り組んでいるのが胸に響きました。

過去の人、南方熊楠を今の世界に引きずり出そうとするような大胆な試み、目が血走るほど夢中になるでしょう。

少し移動して、高山寺にも行ってきましたよ!

高山寺


高山寺では、障子越しに覗く映像体験と、地下道場での一風変わった上映を見学。


障子越しに覗く体験は、障子を指で破いてのぞく子供のようでどきどき感があります。


お寺ならではの雰囲気が楽しめる展示です。
ただ中腰のため途中で腰が…少々悲鳴をあげ始めるかも💦


不思議な映像世界に没入し、芸術ってなんだろうな、と思わず考えてしまう、特別な体験ができました。


縄文土器にまつわる映像上演。


ビデオではご住職による解説も聞けました。


ゆるやかに動き続ける映像は、土器が長い年月をかけて旅をしてきた風景を写してるのかなぁとか考えてしまいました。

えっ!これスクリーンどうなってるの?!と思った方は、ぜひ見に行って確認してみてくださいね!


子供の頃、貝殻を耳に当てて海の音を聞いた人も多いかと思いますが、そんな風な、どこから来るのかわからない懐かしさみたいなものも感じられる映像体験でした。

紀南アートウィークは28日・日曜日まで開催していますので、みなさんもいろいろ回ってみてください♡


久々の雨ですね☔️

こんにちは。
和歌山県田辺市のくぬぎです。


今日は万呂の須佐神社の宵宮がある、という情報をゲットし、夜になって現地に直行したのですが、雨天のためか開催されていませんでした
。゚(゚´ω`゚)゚。

明日の例大祭も、もしかすると雨だと中止になるんでしょうか…?情報がなくてどうにもわかりません💦

明日は紀南アートウィークに行きたいのとお祭りを見たいのとで今迷いに迷っているところですが…。


多分アートウィーク巡りに行くでしょう。


なぜなら、こんな機会でもないと、はじめての施設とかお店とかに入る勇気が無いからです!

一度入ってしまえば、やっぱり次からも来やすくなると思います。

これを機にお気に入りスポットを見つけたいところです!


博物館に行ってきました。

こんにちは。和歌山県田辺市在住のくぬぎです。

お休みを使って博物館に行ってきました。

場所は和歌山市の紀伊風土記の丘というところ。

本当は裏山みたいなところ(植物園や古墳群がみられるとか)もすべて見て回りたかったのですが、体調不良に襲われて早々に引き上げることに。といっても、来るときに乗ってきたバスは、和歌山駅に向かう帰りの便が1~2時間に一本しか出てない。しかも運悪く、その時は次来るバスは1時間半後。最寄りの駅を探して歩きまわり、電車で和歌山駅まで向かいました。事前にバスの時間は調べておかないと困る、といういい勉強になりました。正直、和歌山市は都会だから大丈夫だろうと高をくくっていましたから。

それで、う~ん、感動とか、経験を伝えるって難しいなあと思いました。

人には自分と同じ気持ちは伝わりません。

どんなにいいものだと思っていても、相手に説明して同じ感情になってもらうのはすごく難しいです。

なんだか、今日のブログはわけのわからないエッセーみたいになってしまいました。当然あまり有益な情報はないかもしれません。

たとえば博物館に行って縄文時代の展示を見る。それが古い時代のものだとわかったが、何がそんなにありがたがられて展示されているのか皆目わからない。そもそも考古学の何の知識もない。

そこで、博物館備え付けの図録解説に、理解の助けとなる文章が書いてある。これこれこういう意味で貴重である、とか書いてある。それを見て、今目の前の土くれみたいな展示にそんな歴史や意味があったのか、とドキドキしてくる。

もっと正確に言うと、展示物そのものの学術的価値や事実に感動したのではなく、そういう歴史のストーリーがあって今そこに存在している、そのものこそが今ここに絶対に必要で欠かせない唯一無二のものだというところにロマンを感じる。ものそのものに存在としての価値が認められている、意味づけされているからすごいなあと感動する。

そのとき感じたドキドキ感とそのとき見た展示物の価値を人に伝えたいのだけれど、話してみると、展示物の知識としてしか理解されない。その展示物にはそういう価値がある、という知識としてだけ。違う。その場でしか感じられなかった感触・空気感、気づき、すべて伝えられたらいいのに、と歯がゆく思う。

でも、一方で、自分がその場で感じていた興奮も、発掘や研究・執筆の際に学芸員の感じていた興奮とは全く別物だろうな、と思う。あの時読んだ図録の解説を書いていた学芸員さんが、研究の中で一番没頭し想像力や興奮をかきたてられたのはどの部分だったのか。ずぶの素人にはわからないし、そんなことはきっと研究を進めてきた本人しかわからない。

もしどれだけ伝える側が熱心になっても、受け取る側が知りたいと思わなければ話にならない。

伝達は書き手が伝えるだけでは完成しなくて、読む側の主体性がないと生きづいてこないものでもある。

だからこそ、本や文章なんかを読んでいて、とんでもなく感動するもの・共感できるものに出会うと運命みたいなものを感じる。こんな文章を書ける人はどんな人生を送ってきたのか、普段どんなことを考えているのか、もっと知りたいと思う。多分、この興奮は自分だけのもの。今までの自分がなんやかんやで人生を経験してきて、その経験と結びついてのこの理解。だから、同じ本を読んでも人と全く同じ理解をするということはあり得ない。

だから、博物館とか要はなんでもいいんですが、自分にしか感じられないことを感じるっていうのは本当に貴重なことなんだな、と思います。その感じ方も、二度と同じ経験はできないという意味でもかけがえのないものなので。

なんとなく知りたいと思うほんのかけらばかりの好奇心、めんどくさいけど、よっこらせと腰を上げてみようかというわずかばかりの行動力。

そういうものをどんどん身に着けていけたらいいんだけど、そのきっかけというか気力と原動力を作るのが難しい。

くぬぎは考古学についてはぜんぜん詳しくなく、つまり、これまで興味がなかったわけですが、博物館の帰りしなに、『はじめての考古学』という本を書店で買ってしまいました。我ながら単細胞生物レベルの単純さ。すこしでも理解が深まるといいのですが。

これを生かして今後は実のある内容を伝えられるように頑張ります。

博物館の個性豊かなハニワ達、かわいかったです。


今夜は部分月食!

こんにちは。
和歌山県田辺市在住のくぬぎです!
今日は限りなく皆既月食に近い部分月食が見られるそうですよ!


皆既月食って何だっけ?という人のために説明すると

(今夜は部分月食ですが、限りなく皆既に近い、ですので💦)、

皆既月食は、太陽・地球・月の順番で横一直線に並ぶ現象です(🌞🌎🌕)


つまり、月に地球の影がかかります。
皆既月食で、赤い月が見られるのも、普通なら月は太陽の光に照らされて白く光って見えているのが、地球の影に隠れるため、簡単に言うといろいろな波長の色がカットされて赤に見えるから。

大昔の日本人は月食を不気味なものととらえていたという記事をネットで読み、面白かったので紹介します。

ぜひ元の記事もあたってみてください。

その中では、例えば、日本最古の仏教説話集(仏教の教えを一般人にもわかりやすく物語風にして書いた本)『日本霊異記』に、藤原種継が暗殺される予兆が、皆既月食が起こったことだったという不気味な記述があります。

「乙丑の年(延暦4年〈785〉)の秋の九月十五日の夜に、竟夜(よもすがら)月の面黒く、光消え失せて空闇(くら)し。同じ月の二十三日の亥の時に、式部卿正三位藤原の朝臣種継、長岡の宮の嶋町にして、近衛の舎人雄鹿の宿禰木積、波々岐の将丸に射死(ころ)されき。その月の光の失せしは、これ種継の卿の死に亡する表相なり」(『日本霊異記』(下巻・第三十八))

和歌山県にもゆかりのある歌人西行法師も月食を詠んだ歌があります。
「月蝕を題にて歌よみけるに」と題する歌で

忌むといひて 影に当らぬ 今宵しも
 われて月見る 名や立ちぬらん(『山家集』)
「月蝕は忌むべきものといって、月の光にも当たらないようにする今宵、その月を強いて仰ぎ見る自分にはおかしいという評判が立つだろうか」

と詠んでいるそうです。

そりゃあいつも見ている月が赤黒くなったら怖いですよね💦
平安貴族は風流を重んじていつも月を愛でてるイメージがあるからなおさらでしょう。


今は仕組みがわかってるんだからびくびくせずに見てやりましょう。それでは良いお月見を!

「11月19日の「部分月食」は、ほぼ「皆既月食」〈歴史に見る月食の過ごし方〉 | 男の隠れ家デジタル (otokonokakurega.com)」




胡蝶蘭日誌

こんにちは。
くぬぎです。


会社で育てている胡蝶蘭ですが、最近異変がありました。
二枚目の葉の上から小さな根が生えてきました。わかりますか?


胡蝶蘭の根はかなりうねってのびるので、ときには地面から飛び出ることも。
もともと木に寄生して育つ植物のため、鉢には土ではなく樹皮を砕いたもの(バーク)を入れています。

上にミズゴケを敷き詰めるといいらしいです。


胡蝶蘭の世話は水やりの加減が悩みどころ。
少なめでいいとは聞くけど、もし少なすぎて枯らしてしまったらと思うと怖いし。

さらに寒さからなのか、葉っぱがしなっとしてしまい元気がなくなってきています。

無事に冬越しできるといいけど。

がんばれ~(ノД`)・゜・。

手のかかる子ほどかわいいのが世の常。

新しく出てきた根がどのくらいのびるのかも楽しみです(*’ω’*)


全国に誇る採石跡!?神子浜砥石

こんにちは。


和歌山県田辺市在住のくぬぎです。

(くぬぎはニックネームです)


休日のひまな日は田辺の街を散策したりしています。


今日は地元の人でも知らないかもしれないちょっと変わったスポットをご紹介します。


その名も「神子浜砥石山 石取場跡」です!


道路向かいにかわいい雑貨屋さんがあり、そこに行く途中近くを通りかかったのでのぞいてみました。
石取場跡は道路沿いにあるのですが、目隠しのように植木が並んでいて人目に付きにくいかもしれません。


大きくそびえる岩かべのよこに大きな石碑が立っています。
銀色に景色を反射する文字盤に、日本語と英語で解説がありました。

それによると、このあたり(神子浜・文里)は昭和初期頃まで、天然砥石がたくさんとれた採石場だったようです。
江戸時代初期からすでに採石業が盛んな地域で、最盛期には10か所余りの採石場に、働く人も50人を超えていたそうです。


目が粗い砥石として全国に販売されていた天然砥石ですが、人工的な砥石とコンクリート製造の興隆によって、昭和40年頃になると全く往時の姿を消してしまいました。


石碑のとなりにそびえていたむき出しの岩肌は(あろうことか撮影し忘れましたが)、発破(“ランポウ”と呼んだらしい)によって岩そのものを爆薬で爆破した跡のようです。岩から石をとるのに爆発させる方法があったというのは知らなかったです。


でもたしかに産業にまで成長した採石業、つるはしのような道具だけで掘っていたとは考えにくいですね。
それにしても、今いるこの場所は昔はどれだけ大きな岩山に囲まれていたんだろうと興味がわいてきました。

江戸時代からこの神子浜の地で盛んに採石が行われていたことが、当時の文献にも残されています。(本文・訳は「天然砥石の歴史」から、画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」「古事類苑全文データベース」から引用した)


『日本山海名産圖會 二巻』


礪石あらと 肥前ひぜん(佐賀県・長崎県)の唐津紋口、紀刕きしゅう(紀伊国:和歌山県)
茅ガ中 かやがなか 、神子ガ濱みこがはま、或は豫刕 よしゅう(伊予国:愛媛県)に出すものは石理いしめやや精しくわし(細かい)。是等皆掘取にはあらず。一塊を山下へ切落きりおとしそれを幾千挺の数にも領わかちて出いだす。
<訳>
荒砥は肥前(佐賀県・長崎県)の唐津紋口、紀伊(和歌山県)の茅ガ中かやがなか(茅ガ中は産地名ではなく紀州産のとくに目の荒いものをこう呼ぶ)、神子ガ濱みこがはま、或は伊予で産出され、石質はやや細かい。これらの産地では掘って採掘されるものばかりではなく、露出した大きな塊を山下へ落とし、それを数千の数に切り分けるものもある。

銭は唐津、神子濱みこがはま(砥)に磨ぎて、豫刕(伊予国・愛媛県) の赤(伊予砥の赤)
にて○(金偏に差)みがけり。
<訳>
銭(硬貨)は唐津砥、神子濱砥みこがはまとで磨いて、赤伊予砥で磨きあげる。

毛吹草

(神子浜の砥石についてもっとも古い記述とされる毛吹草。紀伊國の名物としてその名がみえる。)

日本全国の著名な採石場の一つとして、神子濱(神子浜)の地名が挙げられています。この神子浜でとれた鉱石は、目が荒い石の質だったらしく、銭をとぐのに使ったり、包丁とぎに使われたりと、いろいろな形に姿を変えて役立てられていたようです。

最後に、石碑の文章の末尾がなんとも素敵です。今日はこの碑の締めの言葉でおしまいです。

「そこで、我々は、「砥石・石山研究班」を設けて調査・研究を進めてきたが、この度、往時からこのように盛況であった当地の採石業を永久に顕彰するとともに、これに携わった多くの人々の鎮魂の碑としてこれを建立することとした」


参考サイト

「国立国会図書館デジタルコレクション」(日本山海名産圖會 5巻)

「古事類苑全文データベース」『古事類苑』地部二十八|紀伊国|国産/貢献「毛吹草」

「火薬類を用いた岩石破砕工法の現状と今後の課題について」

「天然砥石の歴史」


これは見るべき!近日開始の紀南アートウィークとは?

こんにちは。

先日小耳にはさんだ、和歌山県田辺・白浜地域のとあるイベント。パンフの概要に目を通すと「こんなことやってるなんて!ぜひ知ってほしい!」と強く思いましたので、ここで紹介してみます。

普段はめぼしいイベントが少ない土地柄ゆえに、こういう時は好奇心がくすぐられるのが田辺市民の性。

そしてそのイベントとは、明後日18日(木)からスタートする「紀南アートウィーク」です(*’▽’*)

展示会のキーワードは「アート」と「籠もる」。

これがまず素晴らしいと思いませんか?✨

和歌山の鄙びた地域性を無理に大きく見せようとせず、田舎特有の閉鎖性みたいなものを逆手にとってアートと結びつけたこの発想にはあっと驚かされました。

期間は18(木)~28(日)の10日間と短いです。

多くの方は休日の限られた時間の中で回ることになるでしょう。

どこに行くか迷ってしまう方に、個人的おすすめエリアをご紹介します!

高山寺(10:00-16:30)休なし

高山寺は南方熊楠や植芝盛平のお墓もあるお寺。

びっくりしたのですが、期間中はお寺の香堂と本堂地下にて展示が行われるようです。香堂では過去にカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクンの作品が暗闇をほのかに照らす世界観を演出。

地下にある田辺出身のアーティスト前田耕平作の作品は、古くにお寺が発掘場所になった土器に着想を得て作成された、智慧と祈りの集積ともいうべきもの。

芸術空間のある種の暗さがかえって神秘性を引き立てる見事な演出に期待大です。

南方熊楠顕彰館(10:00-16:30)
休:22(木)24(水)

「前に行ったことあるからいいや」と思ったあなた。

そう言わず聞いてください。

顕彰館は一昨年常設展示をリニューアルし、子供や熊楠さん初めましての方も楽しめる展示に大変身。

子供が楽しめる覗き穴やタッチパネルやジオラマなど、100年前の人と思えないくらい身近で等身大の熊楠を感じられます。

今回の展示は高山寺の地下展示も手掛けた前田耕平の作。

ふだん学者として語られがちな熊楠がアートのフィルター越しにどう映るのか注目です!

顕彰館から徒歩一分のあたりには、個性の光るクリエイターたちの拠点が集結しており、期間中は「熊楠」「きのこ」をテーマに、触ったり食べたり作ったりと五感で楽しめる企画が盛りだくさん♡

雑貨店や地元の隠れレストランに行ってみたい人にもうれしいエリアですよ🥰

川久ミュージアム(10:30-18:00)休なし
料金1000円(ガイドブックを見せると500円)

ホテル川久内に去年の七月にできたばかりのミュージアムでは古今東西の名だたる画家の作品に出会えます。期間中はそれに加えて4人のアーティストの展示があり、いずれも思想性に富んだ世界観。自分のルーツを振り返らずにはいられなくなるような、知的好奇心くすぐる内容なのではないでしょうか。

今回取り上げたのは催しのほんの一部だけ。

紀南地域に「籠められた」凝縮された芸術の世界に足を運んでみてください🌸