全国に誇る採石跡!?神子浜砥石

こんにちは。


和歌山県田辺市在住のくぬぎです。

(くぬぎはニックネームです)


休日のひまな日は田辺の街を散策したりしています。


今日は地元の人でも知らないかもしれないちょっと変わったスポットをご紹介します。


その名も「神子浜砥石山 石取場跡」です!


道路向かいにかわいい雑貨屋さんがあり、そこに行く途中近くを通りかかったのでのぞいてみました。
石取場跡は道路沿いにあるのですが、目隠しのように植木が並んでいて人目に付きにくいかもしれません。


大きくそびえる岩かべのよこに大きな石碑が立っています。
銀色に景色を反射する文字盤に、日本語と英語で解説がありました。

それによると、このあたり(神子浜・文里)は昭和初期頃まで、天然砥石がたくさんとれた採石場だったようです。
江戸時代初期からすでに採石業が盛んな地域で、最盛期には10か所余りの採石場に、働く人も50人を超えていたそうです。


目が粗い砥石として全国に販売されていた天然砥石ですが、人工的な砥石とコンクリート製造の興隆によって、昭和40年頃になると全く往時の姿を消してしまいました。


石碑のとなりにそびえていたむき出しの岩肌は(あろうことか撮影し忘れましたが)、発破(“ランポウ”と呼んだらしい)によって岩そのものを爆薬で爆破した跡のようです。岩から石をとるのに爆発させる方法があったというのは知らなかったです。


でもたしかに産業にまで成長した採石業、つるはしのような道具だけで掘っていたとは考えにくいですね。
それにしても、今いるこの場所は昔はどれだけ大きな岩山に囲まれていたんだろうと興味がわいてきました。

江戸時代からこの神子浜の地で盛んに採石が行われていたことが、当時の文献にも残されています。(本文・訳は「天然砥石の歴史」から、画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」「古事類苑全文データベース」から引用した)


『日本山海名産圖會 二巻』


礪石あらと 肥前ひぜん(佐賀県・長崎県)の唐津紋口、紀刕きしゅう(紀伊国:和歌山県)
茅ガ中 かやがなか 、神子ガ濱みこがはま、或は豫刕 よしゅう(伊予国:愛媛県)に出すものは石理いしめやや精しくわし(細かい)。是等皆掘取にはあらず。一塊を山下へ切落きりおとしそれを幾千挺の数にも領わかちて出いだす。
<訳>
荒砥は肥前(佐賀県・長崎県)の唐津紋口、紀伊(和歌山県)の茅ガ中かやがなか(茅ガ中は産地名ではなく紀州産のとくに目の荒いものをこう呼ぶ)、神子ガ濱みこがはま、或は伊予で産出され、石質はやや細かい。これらの産地では掘って採掘されるものばかりではなく、露出した大きな塊を山下へ落とし、それを数千の数に切り分けるものもある。

銭は唐津、神子濱みこがはま(砥)に磨ぎて、豫刕(伊予国・愛媛県) の赤(伊予砥の赤)
にて○(金偏に差)みがけり。
<訳>
銭(硬貨)は唐津砥、神子濱砥みこがはまとで磨いて、赤伊予砥で磨きあげる。

毛吹草

(神子浜の砥石についてもっとも古い記述とされる毛吹草。紀伊國の名物としてその名がみえる。)

日本全国の著名な採石場の一つとして、神子濱(神子浜)の地名が挙げられています。この神子浜でとれた鉱石は、目が荒い石の質だったらしく、銭をとぐのに使ったり、包丁とぎに使われたりと、いろいろな形に姿を変えて役立てられていたようです。

最後に、石碑の文章の末尾がなんとも素敵です。今日はこの碑の締めの言葉でおしまいです。

「そこで、我々は、「砥石・石山研究班」を設けて調査・研究を進めてきたが、この度、往時からこのように盛況であった当地の採石業を永久に顕彰するとともに、これに携わった多くの人々の鎮魂の碑としてこれを建立することとした」


参考サイト

「国立国会図書館デジタルコレクション」(日本山海名産圖會 5巻)

「古事類苑全文データベース」『古事類苑』地部二十八|紀伊国|国産/貢献「毛吹草」

「火薬類を用いた岩石破砕工法の現状と今後の課題について」

「天然砥石の歴史」

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