那智の滝と文覚上人

こんにちは!
くぬぎです!


和歌山の熊野大社には、本宮、那智、速玉の三社があります。
その中でも、那智は那智の滝がよく知られていますよね。
那智の滝にまつわる面白い話を本で見つけたので今日はブログにしています。


庶民に熊野信仰を布教するために持ち歩いたとされる一幅の絵、那智参詣曼荼羅には、滝に打たれる修行をして疲労困憊し、両側から支えられているようにして描かれている人物がいます。

この真ん中の人は文覚上人という人で、さびれていた京都の名刹・神護寺の再興のために尽力したお坊さんです。


神護寺というと、京都の北のエリアにあり、標高が高い高尾山という寒い地域に位置するため、京都で一番早く紅葉が色づき始めるのが神護寺ともいわれています。

京都フリー写真素材


そんな神護寺を再興した文覚上人は、神護寺への寄付を天皇にお願いし、断られると天皇に向かって逆ギレするなど、情熱がありすぎて(?)少し変わったお坊さんといわれることもあります。しかし、彼がいなければ決して今の神護寺はなかったといわれるくらいに寺院再興に寄与した偉大な業績を持つ人物です。


文覚上人は、もともとお坊さんであったわけではなく、若いころは一介の武士でした。
文覚上人 がお坊さんになるきっかけになった恋愛物語を今回はご紹介します。

文覚上人は、 お坊さんになる前の名前を遠藤盛遠といい、盛遠はある時、すでに夫のいる女性「袈裟御前(けさごぜん)」に恋をしてしまいます。

夫を愛していた袈裟御前はもちろん断ろうとしますが、断るなら袈裟御前の母を殺すぞと盛遠は強く迫ります。

母を見殺しにできない袈裟御前は、「それでは、おっしゃる通り結婚します。ですが、今は夫がいる身ですので結婚できません。今夜私の家に来てください。夫が帰ってきたらお酒をたくさん飲ませて酔わせたうえ、髪の毛を洗って濡らし寝かしつけますから、暗闇の中濡れた髪の毛を目印に探り当てて、首を切って殺してください。そうすれば晴れてあなたと結婚しましょう」ともちかけます。


それならば今夜向かおう、と約束をして、盛遠は帰っていきました。


夜になり、袈裟御前は帰ってきた夫を迎えて御馳走をふるまい、お酒をたくさん勧めてぐでぐでに酔わせてしまいました。

その後、夫を風呂に入れ、寝かしつける支度が整うと、夫を目立たない押入れの陰に寝かしつけました。

そして、自分の髪を男性の髪ほどに切り落とし、水で洗って濡らし、床に就いてその時を待ちました。


何も知らない盛遠は、昼間袈裟御前に言われた通り、暗闇の中そっと屋敷に忍び入り、濡れた髪の毛が手に触れると一気に刀を振るいました。そのあとは急いで屋敷を跡にし、切り落とした首は帰り道の途中の草むらに捨ててしまいました。


次の日になり、盛遠の屋敷では、袈裟御前が殺されたという噂でもちきりになっていました。
盛遠はまさかと思い、昨夜の道をたどって、首を捨てた草むらを確認しました。


こうして、盛遠は愛する人を手にかけてしまった自身の愚かさを悔い、出家したという伝説があります。

この物語はいろいろな本に載ったり、舞台の演目になったりして広まり、袈裟御前は命を犠牲にしても夫への貞節を守ったとして、模範的な女性像として広く知られました。


そういう経緯でお坊さんになった遠藤盛遠は、出家した後の名を文覚上人といいました。


出家後も波乱の生涯を送った人物ですが、生前のその功績が認められて、神護寺にお墓が建てられています。


同じく京都にある袈裟御前のお墓があると伝わるお寺・恋塚寺では、袈裟御前のお墓が神護寺の方向、つまり盛遠のお墓に顔を向けるように建てられています。


その様子は、罪を償うべく仏道に励んだ盛遠を、まるで許しねぎらっているかのよう。そのお墓のエピソードさえ、母と夫の為に身をささげた袈裟御前らしいと感じるのは私だけでしょうか。

とまあ、うろ覚えなのと伝説もいくつかのタイプがあるのでこれが正確な伝説だとはいえませんが、こういう風な話が伝わり、那智の滝での修行風景につながっていると思うと少し感慨深くなります。


余談ですが、2022年の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」では市川猿之助さんが文覚上人を演じられるそうです。楽しみです!

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