那智の滝とよみがえり

こんにちは!

くぬぎです!

昨日は文覚上人の話をしましたが、実はもともと書こうと思ったのはその内容ではなかったんです。

そもそも始めに気になって書こうと思ってたのは、那智の滝での文覚上人のよみがえりの描写です。

今図書館で借りて読んでいる本『イチから知りたい日本の神さま-1 熊野大神』によると、那智参詣曼荼羅には文覚上人が滝に打たれて二人の人物に介助されて立っている姿が描かれています。

文覚上人は冬に37日間、那智の滝に打たれる修行を決行し、その結果凍死してしまいますが、それを不動明王の使いの童子が表れて蘇生させたといいます(p54)。

さらに、この文覚上人の、一度死んで蘇生し生まれ変わった、という伝説自体が、那智の滝が生まれ変わりや再生を与える聖地として認識されていたことをあらわしていることも強調されています。

それにかかわり、修験道においては、修行者は厳しい修行を自らに課すことで、「いったん死に、生まれ変わること」を目指していたという内容が目に留まりました。

修験道の修行者が、死と再生を重要視していた、というのが、昔耳にしたある話とつながったような気がして、なるほどなあと驚き、納得してしまいました。

どういう内容かというと、以前くぬぎは京都で暮らしていたことがあるのですが、京都で某博物館の展示を見に行った時に、そこの学芸員さんが教えてくださった話です。

鞍馬寺という京都のお寺と鞍馬山周辺の風俗についてがその時の展示テーマで、とくに印象深かったのは鞍馬寺で今でも行われている伝統行事・竹伐り会式(たけきりえしき)のお話でした。

竹伐り会式は現在は、二つの地域の代表が竹を切る速さを競い、速かった方の地域がその年は豊作になる、といわれている毎年恒例の鞍馬寺の行事です。

しかし、昔は今と少し仕組みが違っていたらしく、儀式・仏事の一環として行われていたそうです。

儀式としての竹伐り会式の姿とは、どんなものだったのでしょうか。すこし見ていきます(あくまで昔は、の話です。今の時代にやるとかなり問題になるような内容ですので)。

儀式の手順としては、まずお寺にはお坊さんが何人もいるのですが、儀式が始まるとそのお坊さんが全員集まって、一斉に竹を切るそうです。それも、切る速さを競う、つまり一番切るのが速かった人を決めるのではなく、一番切るのが「遅かった」人を決めるために行われていたのだそうです。

なぜかというと、かつての竹伐り会式は、お坊さんたちの一年の修行の成果の見せ場のような舞台だったからです。精進し修行を重ねた僧侶は法力がつくと考えられ、それにともない、法力が強いならば当然竹を切るのも速くなるに違いない、と考えていたからだそうです。

つまり、その考え方では、一番切るのが遅かったビリのお坊さんは、一番修行が足りなかったと考えられますよね。

では、一番遅かったビリのお坊さんが決まった後はどうするのかというと、そのビリのお坊さんをほかのお坊さん全員で取り囲み、取り囲んだお坊さんたちが大声で一斉にお経を読み上げるんだとか。

たった一人で全員に囲まれ声を浴びせられるお坊さんは、かわいそうに、びっくりするあまり失神したり、追い詰められて錯乱状態になり神がかりのような状態になることもあったそうです。

しかし、実はそれこそがこの儀式の本当の狙い。

一気に詰め寄られ攻められることで自分を失う=仮想上の「死」を経験させるということです。

そして、次に正気に戻った時には、仮想上では死を経験して帰ってきた「再生」、よみがえりを果たしたとして、儀式の前よりも法力が身についていると考えたそうです。

死を経たよみがえりによって、特別なパワーが身についたというイメージでしょうか。

仮想上とはいえ、そのような「死とよみがえり」を重要な儀式に実践的に取り入れていたこの事例を聞いたことがあったので、那智の滝での 文覚上人 の死とよみがえりの場面が修験道における重要な文脈で理解されていた、というところでなんとなく似ているんだな、と感じました。

なんでそんな思いまでして、危険なのに・・・と思ってしまうことでも、当時の人は今の感覚とはまた違った考え方を持っていたから、ということも、調べてみるとまだまだたくさんありそうですね。

画像引用元:京都フリー写真素材

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